歴史年表
16世紀
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1511.09.16(永正08.08.24)
 船岡山の戦い(船岡山合戦)

1517.10.31
 マルティン・ルターヴィッテンベルク城教会の扉に、贖宥状(しょくゆうじょう)の悪弊を攻撃する
 「九十五箇条の論題」を発表

1519.09.20
 ポルトガルの探検家フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan)、トリニダー号(110トン)、
 サン・アントニオ号(120トン)、コンセプシオン号(90トン)、ビクトリア号(85トン)、サンティアゴ号(74トン)
 のカラベル船に265人を乗せて、スペインのサンルーカル・デ・バラメダ港から世界一周航海に出発

1520.10.21
 ポルトガルの探検家フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan)、南米の最南端マゼラン海峡を発見

1520.11.28
 ポルトガルの探検家フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan)、マゼラン海峡を通過し、大きな海に抜ける
 マゼランはこの海を「太平洋(イル・パシフィコ)」と名付ける

1520.12.10
 マルティン・ルター、公衆の面前でローマ教皇レオ10世からの破門状を焼き捨てる

1526.04.21
 パーニーパットの戦い
 ⇒ムガル帝国(ムガール帝国)

1526.05.25(大永06.04.14)
 今川氏親(いまがわうじちか)、「今川仮名目録」(東国最古の分国法)を定める

1530.02.18(享禄03.01.21)
 長尾景虎(上杉謙信)誕生

1532.09.23(天文01.08.24)
 天文法華一揆山科本願寺合戦)

1536.05.04(天文05.04.14)
 伊達稙宗(だてたねむね)、「塵芥集(じんかいしゅう)」(最大規模の分国法)を定める

1536.08.13(天文05.07.27)
 天文法華の乱法華一揆
 天台宗比叡山延暦寺の僧兵と近江六角氏の軍勢、早朝、四条口から京へ乱入して各所に放火し、
 法華宗(日蓮宗)21本山の全てを焼く

1541.05.02(天文10.04.07)
 フランシスコ・ザビエルが乗った5隻のポルトガル艦隊(サンチャゴ号)、リスボンを出港

1541.07.07(天文10.06.14)
 武田信玄、父・武田信虎を今川義元(武田信虎の娘婿)のいる駿府へ追放し、武田家第19代家督を相続

1541.12.25
 ミケランジェロの大壁画「最後の審判」公開

1543.05.23
 ニコラウス・コペルニクス、「天体の回転について」を発表
 ⇒地動説

1543.09.23(天文12.08.25)
 ポルトガル船が種子島に漂着し、日本に初めて鉄砲を伝える(鉄砲伝来
 ⇒種子島時堯

1549.07.27(天文18.07.03)
 イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル乗船のジャンク船「海賊号」、鹿児島に錨を降ろす
 1549.08.15(天文18.07.22)
 上陸

1549.08.15(天文18.07.22)
 フランシスコ・ザビエル、薩摩(鹿児島)に上陸

1549.12.15(天文18.11.27)
 松平竹千代(徳川家康)、人質として今川義元のもとへ行く

1553.07.19
 メアリー1世レディ・ジェーン・グレイ(Lady Jane Grey)を廃し即位

1555.10.16(天文24.10.01)
 厳島の合戦

1557.12.15(弘治03.11.25)
 毛利元就14条の教訓状「三本の矢」
 毛利元就、毛利隆元(長男)・吉川元春(次男)・小早川隆景(三男)に「三人心持之事」の書状を送る

1560.06.12(永禄03.05.19)
 桶狭間の戦い
 5千の織田信長軍、尾張国愛知郡田楽狭間(愛知県名古屋市緑区)で休憩中の2万5千の今川義元軍を奇襲
 服部小平太忠勝、義元に一番槍を付け、毛利新介良勝、義元の首をはねる。
 1560.06.16(永禄03.05.23)
 今川家に人質になっていた松平元康(徳川家康)、岡崎城に帰る

1561.04.30(永禄04.03.16)
 上杉謙信、関東管領に就任
 関東管領(かんとうかんれい)とは、室町幕府の職名のことで、鎌倉府の長官(鎌倉公方)の補任役として、
 代々上杉氏が世襲した

1561.10.18(永禄04.09.10)
 川中島の戦い
 武田信玄V.S.上杉謙信

1563.07.25(永禄06.07.06)
 今川義元の後を継いだ今川氏真(いまがわうじざね)と断交し、織田信長と同盟(清洲同盟)を結んだ松平元康、
 義元からの「元」の字を返上して「家康」と改名

1565.06.17(永禄08.05.19)
 永禄の変
 松永久秀三好三人衆と謀り、足利義輝二条御所(京都市上京区)にて暗殺

1567.02.08(永禄09.12.29)
 松平家康、徳川家康に改姓
 松平家康、勅許を得て徳川氏に改姓
 松平家康、朝廷の許可を得て、徳川に復姓し、従五位下三河守に叙任された

1567.09.17(永禄10.08.15)
 織田信長、稲葉山城を落とし、岐阜と改め、小牧山から移り岐阜城主となる

1567.11.10(永禄10.10.10)
 松永久秀三好三人衆を東大寺で破る。この時、大仏殿が兵火で焼ける

1568.08.18(永禄11.07.25)
 室町幕府第15代将軍の足利義昭、美濃西荘(岐阜市)の立政寺で織田信長に迎えられる(永禄11.07.22とも)

1568.09.27(永禄11.09.07)
 織田信長、上洛のため大軍を率いて岐阜を出発

1568.10.16(永禄11.09.26)
 織田信長、足利義昭を奉じて入京

1568.11.07(永禄11.10.18)
 足利義昭、織田信長の尽力で、室町幕府第15代征夷大将軍に

1569.04.24(永禄12.04.08)
 織田信長、宣教師ルイス・フロイスに京都居住と布教許可の朱印状を与える

1570.05.24(永禄13.04.20)
 織田信長、朝倉義景を討つため3万の大軍を率いて京都を発ち越前へ

1570.06.03(元亀01.04.30)
 金ヶ崎の戦い金ヶ崎の退き口金ヶ崎崩れ
 朝倉義景討伐途上の織田信長、浅井長政(継室:織田信長の妹・お市の方)の離反に遭い、越前から撤退
 木下藤吉郎、殿(しんがり)を務める

1570.07.30(元亀01.06.28)
 姉川の戦い(姉川の合戦)

1570.10.11(元亀01.09.12)
 石山合戦始まる
 ⇒石山本願寺

1571.01.09(元亀01.12.14)
 織田信長、正親天皇と足利義昭将軍の仲介により浅井長政・朝倉義景と和睦

1571.09.30(元亀02.09.12)
 織田信長、延暦寺を焼き討ちにする

1571.10.07
 レパントの海戦

1572.11.11
 デンマークの天文学者ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe)、カシオペア座に出現した超新星(ティコの新星)爆発を
 科学的に観測し記録(史上初)

1573.01.25(元亀03.12.22)
 三方ヶ原の戦い
 武田信玄V.S.徳川家康

1573.05.05(元亀04.04.04)
 織田信長、上京を焼き払い、室町幕府第15代将軍足利義昭の居城・二条御所武家御城)を包囲

1573.08.15(元亀04.07.18)
 室町幕府第15代将軍足利義昭槙島城で織田信長に降伏し京から追放される。
 室町幕府滅亡(240年の歴史に幕)

1574.10.13(天正02.09.29)
 織田信長、一向一揆制圧のため長島願証寺を焼き払う

1575.06.29(天正03.05.21)
 長篠の戦い
 鉄砲三段射ち

1576.03.23(天正04.02.23)
 織田信長、安土城へ移る

1576.05.12(天正04.04.14)
 石山合戦
 織田信長軍、石山本願寺顕如を海陸の三方から包囲し攻撃

1576.08.07(天正04.07.13)
 木津川の戦い(第一次木津川口の戦い)
 毛利輝元水軍、織田信長水軍を木津川河口で破り、石山本願寺に兵糧を搬入

1577.12.02(天正05.10.23)
 羽柴秀吉、織田信長から中国攻めを命ぜられ京都を出発し播磨に軍を進める

1577.12.13
 英の海賊フランシス・ドレークゴールデン・ハインド号(全長36.5m 排水量305t)で
 プリマスから艦隊を率いて世界周航に出発

1578.04.06(天正06.02.29)
 織田信長、安土城(安土御山)で、近江国(江州)相撲取300人を集めて観戦

1578.08.06(天正06.07.03)
 上月城の戦い
 尼子勝久(あまごかつひさ)、毛利に攻められ自刃

1581.03.27(天正09.02.23)
 イエズス会宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)、織田信長に謁見

1581.04.04
 ゴールデン・ハインド号の船上で、エリザベス1世が手にした剣を、フランシス・ドレークの肩に触れ、ナイトの称号を与える

1582.02.24
 ローマ教皇グレゴリウス13世、暦法改正を布告
 ローマ教皇グレゴリウス13世、ユリウス暦を改良したグレゴリオ暦を制定
 日本では、1872年にグレゴリオ暦を採用し、1872(明治5年)年12月3日を1873年(明治6年)1月1日とした

1582.04.03(天正10.03.11)
 甲斐の戦国大名で武田氏第20代当主の武田勝頼、織田信長の武田征伐により武田氏ゆかりの地・天目山で自刃
 (武田一族滅亡)

1582.04.25(天正10.04.03)
 快川紹喜(かいせんじょうき)、織田軍の攻撃で恵林寺三門楼上に立てこもり焼死
 辞世の句:安禅必ずしも山水を須(もち)ひず、心頭滅却すれば火も自ら涼し

1582.06.21(天正10.06.02)
 本能寺の変

1582.06.23(天正10.06.04)
 徳川家康、伊賀越え(家康の生涯で最大の危機)
 服部半蔵ら活躍

1582.07.02(天正10.06.13)
 山崎の合戦(山崎の戦い)
 羽柴軍V.S.明智軍

1582.07.16(天正10.06.27)
 清洲会議(きよすかいぎ)

1582.07.27(天正10.07.08)
 羽柴秀吉、山城国検地を行う
 ⇒太閤検地

1582.10.15(ユリウス暦1582.10.05)
 カトリック教国でグレゴリオ暦が施行される

1583.06.11(天正11.04.21)
 賎ケ岳の戦い(しずがたけのたたかい)
 羽柴秀吉と柴田勝家との戦い

1583.06.18(天正11.04.28)
 徳川家康、朝日姫(豊臣秀吉の異父妹)と結婚

1584.05.18(天正12.04.09)
 小牧・長久手の戦い

1585.03.23(天正13.02.22)
 天正遣欧少年使節団(伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ)、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見
 イエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノの発案で、九州のキリシタン大名・大友宗麟・大村純忠・有馬晴信
 の名代としてローマへ派遣された日本人使節団
 1582
 長崎港を出港
 1590
 長崎港に帰港

1585.08.06(天正13.07.11)
 羽柴秀吉、関白になるため、元関白・近衛前久の養子となり藤原姓を名乗り就任
 木下藤吉郎→羽柴秀吉→藤原秀吉→豊臣秀吉

1587.01.27(天正14.12.19)
 秀吉、豊臣姓に

1587.04.08(天正15.03.01)
 豊臣秀吉、島津義久討伐のため出兵
 1587.06.13(天正15.05.08)
 島津義久降伏

1587.06.13(天正15.05.08)
 九州平定九州征伐
 島津義久、薙髪(ちはつ)し龍伯と号し、泰平寺に秀吉を訪ね、正式に降伏

1587.07.24(天正15.06.19)
 豊臣秀吉、5カ条のキリシタン禁令(天正禁令)を発布し、宣教師に対して20日以内の国外退去を命じる

1587.10.14(天正15.09.13)
 豊臣秀吉、大坂城から完成した聚楽第に移る

1587.11.01(天正15.10.01)
 北野大茶会

1588.08.29(天正16.07.08)
 豊臣秀吉、諸国の農民に武器の所持を禁止(刀狩令)、諸国の海賊を禁止(海賊禁止令

1589.08.14(天正17.07.04)
 豊臣秀吉、上杉景勝佐竹義重に伊達政宗の討伐を命じる
 ⇒摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい)

1590.08.04(天正18.07.05)
 小田原合戦
 小田原城無血開城
 北条氏直、豊臣秀吉に降伏

1590.08.12(天正18.07.13)
 豊臣秀吉、徳川家康に北条氏旧領の関東8カ国を与え、家康の領国5カ国は織田信雄の所領とする

1590.08.30(天正18.08.01)
 豊臣秀吉に領地を関東に移された徳川家康、江戸城に入る

1591.04.06(天正19.02.13)
 豊臣秀吉、千利休を京都から堺へ追放

1591.04.21(天正19.02.28)
 千利休、豊臣秀吉によって蟄居中の堺から京都に呼び戻され、葭屋町(よしやまち)屋敷で切腹
 ⇒千利休居士聚楽屋敷趾

1592.05.24(天正20.04.13)
 文禄の役豊臣秀吉の朝鮮出兵

1593.02.27(文禄02.01.26)
 文禄・慶長の役
 碧蹄館の戦い
 朝鮮の碧蹄館周辺で日本軍と明軍が戦い、日本軍が勝利

1594.04.17(文禄03.02.27)
 豊臣秀吉、吉野花見を開催

1596.09.05(文禄05.07.13)
 京阪神大地震慶長伏見地震
 畿内(山城、大和、摂津、河内、和泉)に甚大な被害
 京都伏見城天守閣が大破
 500人以上圧死
 豊臣秀吉、命からがら避難

1596.10.22(文禄05.09.01)
 豊臣秀吉、大坂城で明の勅使を引見
 翌日、明の万暦帝からの勅書の朗読に激怒
 再び朝鮮出兵

1597.02.05(慶長01.12.19)
 日本二十六聖人殉教
 長崎で、豊臣秀吉の命令によって26人のカトリック信徒が処刑された

1597.06.18(慶長02.05.04)
 伏見城(桃山城)の天守が完成し、大閤秀吉、移る

1597.02.05(慶長01.12.19)
 日本二十六聖人殉教
 長崎で、豊臣秀吉の命令によって26人のカトリック信徒が処刑された

1598.04.13
 ナントの王令ナントの勅令

1598.04.20(慶長03.03.15)
 醍醐の花見
 豊臣秀吉、醍醐寺三宝院で最後の花見
 06.08
 発病
 09.18
 死亡

1598.09.05(慶長03.08.05)
 豊臣秀吉、豊臣秀頼の後事を五大老に託す。
 徳川家康・前田利家、五奉行と誓書を交換
 五大老:徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元、小早川隆景(のちに上杉景勝)
 五奉行:前田玄以、浅野長政、増田長盛、石田三成、長束正家
 1598.09.18(慶長03.08.18)
 豊臣秀吉、伏見城で死去

1598.09.25(慶長03.08.25)
 徳川家康と前田利家、豊臣秀吉の死を秘し朝鮮在陣の諸将を召還させる

1600.04.29(慶長05.03.16)
 蘭商船リーフデ号の英航海士ウィリアム・アダムス(三浦按針)ら24人、豊後の佐志生(大分県臼杵市)に漂着

1600.10.21(慶長05.09.15)
 関ケ原の戦い

1600.12.31
 イギリス東インド会社設立




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