歴史年表
12世紀
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1105.03.03(長治02.02.15)
 藤原清衡(奥州藤原氏の祖)、平泉に最初院多宝寺中尊寺)を建立

1124.09.29(天治01.08.20)
 藤原清衡、中尊寺に金色堂を建立

1126.04.18(大治01.03.24)
 藤原清衡中尊寺金堂・鐘楼・経蔵など堂塔40余、僧坊300を数える大寺院を完成させ盛大な落慶供養を行う
 藤原3代100年の栄華を築く

1132.03.31(天承02.03.13)
 鳥羽上皇得長寿院(白河千体観音堂)の落慶供養を行う。
 平忠盛、造営の功により36歳の若さで武士としては初めての昇殿を許される(平家一門隆盛の礎)。
 のちに、後白河法皇、父帝・鳥羽上皇の、平清盛、父・忠盛の、それぞれの遺徳を偲び、「蓮華王院三十三間堂」を建立

1156.07.29(保元01.07.11)
 保元の乱

1156.09.12(保元01.08.26)
 保元の乱で敗れた源為朝(みなもとのためとも)、捕えられ伊豆大島に流される

1158.09.05(保元03.08.11)
 後白河天皇(上皇、法皇)、院政を開始

1160.01.19(平治01.12.09)
 平治の乱

1160.03.18(永暦01.02.09)
 平頼盛(異母兄:平清盛)の従者・平宗清、源頼朝を捕らえる
 ⇒平治の乱

1160.04.19(永暦01.03.11)
 源頼朝平治の乱に破れ、伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に流される
 この地(静岡県田方郡韮山町四日町)で、14歳から34歳まで過ごしたとされる

1165.01.30(長寛02.12.17)
 三十三間堂完成
 後白河上皇、平清盛に造営させた蓮華王院本堂(三十三間堂)の落慶供養を行う

1167.03.04(仁安02.02.11)
 平清盛、武士で初めて従一位太政大臣に任ぜられる
 「平氏にあらずんば人にあらず」

1167.03.16(仁安02.02.23)
 平清盛、厳島神社に参詣(平家納経

1168.03.24(仁安03.02.13)
 京都で大火
 千手堂、悲田院、京極寺などが焼ける

1170.07.10(嘉応02.05.25)
 藤原秀衡(ふじわらのひでひら)、鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に任命される

1177.05.27(安元03.04.28)
 京都で大火(安元の大火
 都の3分の1が焼失
 平安京のシンボル「大極殿」も焼失

1177.06.28(安元03.06.01)
 鹿ヶ谷事件

1179.12.20(治承03.11.20)
 平清盛、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し院政を停止させ、政権を奪取

1180.06.26(治承04.06.02)
 平清盛、福原遷都(神戸市兵庫区平野)を強行
 1180.12.14(治承04.11.26)
 平清盛、都を福原から京都へ戻す

1180.09.08(治承04.08.17)
 蛭ケ小島に流刑となっていた源頼朝、以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)を掲げて挙兵

1180.09.27(治承04.09.07)
 源義仲(木曽義仲)、後白河天皇の第三皇子・以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)を奉じて信濃で挙兵

1180.10.26(治承04.10.06)
 石橋山の合戦で敗れ安房に逃れた源頼朝千葉常胤らの助勢を得て鎌倉に入る

1180.11.09(治承04.10.20)
 治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)
 富士川の戦い

1180.11.10(治承04.10.21)
 源頼朝、弟の源義経と駿河国の黄瀬川で初めて会う

1180.12.14(治承04.11.26)
 平清盛、都を福原から京へ戻す

1181.01.15(治承04.12.28)
 治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)
 南都焼打(なんとやきうち)
 平清盛の命を受けた平重衡(たいらのしげひら 平清盛の五男)ら平氏軍、東大寺・興福寺など
 奈良(南都)仏教寺院を焼き討ち

1183.06.02(寿永02.05.11)
 倶利伽羅峠の戦い砺波山の戦い
 源義仲(木曽義仲)、倶利加羅峠で平氏を破る
 ⇒火牛の計

1183.08.14(寿永02.07.25)
 平宗盛安徳天皇建礼門院平徳子)を連れて西海へ向かう(一族とともに都落ち)

1184.03.10(寿永03.01.26)
 後白河法皇、源頼朝に平氏追討の院宣(いんぜん)を下す

1184.03.20(寿永03.02.07)
 一ノ谷の合戦一ノ谷の戦い
 摂津国福原(兵庫県神戸市)で行われた治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いのひとつ
 ⇒鵯越の逆落とし

1184.11.10(元暦01.10.06)
 源頼朝、公文所を設置

1184.11.24(元暦01.10.20)
 源頼朝、問注所を設置

1185.03.22(元暦02.02.19)
 屋島の戦い
 讃岐国屋島で行われた治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いのひとつ
 那須与市、平氏方が小船に立てた扇の的を一矢で射落とす

1185.04.25(元暦02.03.24)
 壇ノ浦の合戦(壇ノ浦の戦い)で、安徳天皇(7)、清盛の妻で祖母の平時子(59)に抱かれて入水
 このとき三種の神器のうち宝剣が海中に没した

1185.06.26(元暦02.05.27)
 源義経、兄・頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを許されず、腰越(こしごえ)の満福寺から書状を送る(腰越状

1185.08.06(元暦02.07.09)
 京都大地震
 近江・山城・大和の地震(M7.4)

1185.12.04(文治01.11.11)
 後白河法皇、源頼朝に源義経追討の院宣を下す

1185.12.10(文治01.11.17)
 源義経の愛妾・静御前、吉野山で捕らえられる

1185.12.22(文治01.11.29)
 源頼朝、義経一行の追捕と治安維持を名目に日本国惣追捕使(にほんこくそうついぶし)・日本国惣地頭の設置を
 朝廷に迫り、勅許され就任

1186.04.28(文治02.04.08)
 源頼朝と北条政子、静御前鶴岡八幡宮で舞(静の舞)を奉納させる
 「吉野山峰の白雪踏みわけて 入りにし人のあとぞ恋しき 静や静しずのおだ巻きくり返し 昔を今になすよしもがな」

1186.09.14(文治02.07.29)
 源義経の愛妾・静御前安達新三郎宅で男児を出産するも、源頼朝の命を受けた安達新三郎に剥ぎ取られ
 由比浜に捨てられる

1187.03.21(文治03.02.10)
 源義経、義経追討から逃れ、奥州平泉の藤原秀衡に身を寄せる

1187.10.02
 アイユーブ朝(イスラム系王朝)のサラディンサラーフッディーン)、聖地エルサレムを奪回
 エルサレム王国(キリスト系王国)滅亡
 1187.07.04
 ハッティンの戦いヒッティーンの戦い)で、サラディン、十字軍の主力部隊を壊滅

1189.06.15(文治05.04.30)
 源義経(30)、源頼朝の力に屈した藤原泰衡(ふじわらのやすひら)に急襲され、
 衣川館(ころもがわのたち)に自ら火を放ち妻子((郷御前、亀鶴御前)とともに自害
 ⇒高館義経堂(たかだちぎけいどう) 義経生存説チンギス・ハン) 弁慶の立ち往生 衣川の戦い衣川の合戦

1189.09.01(文治05.07.19)
 源頼朝、藤原泰衡(ふじわらのやすひら)を追討するため鎌倉を出発

1189.10.14(文治05.09.03)
 藤原泰衡(ふじわらのやすひら)、源頼朝の攻撃を受けて比内郡贄柵(にえのさく)で郎従の河田次郎に殺される

1192.04.24(建久03.03.11)
 中都(北京)郊外に盧溝橋(マルコ・ポーロ橋)建設(南宋・紹煕03.03.11)

1192.08.21(建久03.07.12)
 源頼朝、征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開く

1193.06.28(建久04.05.28)
 曽我兄弟の仇討ち(日本三大仇討ちのひとつ)
 源頼朝が、富士の裾野で大巻狩を行った際、曽我十郎祐成(すけなり)・曽我五郎時政(ときむね)兄弟、
 父の敵・工藤祐経(すけつね)を殺害
 ⇒曽我の傘焼まつり 「曽我物語

1195.04.23(建久06.03.12)
 後鳥羽上皇源頼朝臨席のもと東大寺大仏殿の落慶(らっけい)供養を行う
 上皇(じょうこう)とは、天皇が譲位後に受ける尊称のことで、太上天皇(だいじょうてんのう)ともいう
 落慶(らっけい)とは、神社・寺院などの建物の落成を喜び祝うこと




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