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今日の名言 格言 ことわざ

12月7日



 あゝおとうとよ、君を泣く
 君死にたまふことなかれ
 末に生まれし君なれば
 親のなさけはまさりしも
 親は刃をにぎらせて
 人を殺せとをしへしや
 人を殺して死ねよとて
 二十四までをそだてしや
 堺の街のあきびとの
 旧家をほこるあるじにて
 親の名を継ぐ君なれば
 君死にたまふことなかれ
 旅順の城はほろぶとも
 ほろびずとても何事ぞ
 君は知らじな、あきびとの
 家のおきてに無かりけり
 君死にたまふことなかれ
 すめらみことは戦ひに
 おほみずから出でまさね
 かたみに人の血を流し
 獣の道で死ねよとは
 死ぬるを人のほまれとは
 おほみこころのふかければ
 もとよりいかで思されむ
 あゝおとうとよ戦ひに
 君死にたまふことなかれ
 すぎにし秋を父ぎみに
 おくれたまへる母ぎみは
 なげきの中にいたましく
 わが子を召され、家を守り
 安しときける大御代も
 母のしら髪はまさりぬる
 暖簾のかげに伏して泣く
 あえかにわかき新妻を
 君わするるや、思へるや
 十月も添はで 別れたる
 少女ごころを思ひみよ
 この世ひとりの君ならで
 ああまた誰をたのむべき
 君死にたまふことなかれ
  「君死にたまふことなかれ」与謝野晶子

 

 確かに技術の伴わない表現は人々を深く感動させることはできませんので、技術の高さも必要です。
 しかし、それは成功させるための手段に過ぎません。技術だけのバレエは人々の心には入り込めないのです。
 一日稽古を休めば自分でわかり、二日休めば仲間にわかり、三日休めばお客様に悟られてしまう。
  森下洋子




 馬耳東風
 他人の意見や批評を聞き流して何とも思わないこと。
 「馬の耳に念仏」とも
 李白

 考え落ち
 落語の落ちの一つ。よく考えないと、その意味や笑いが分からない落ち。
 「あたま山」「疝気の虫」「千両みかん」など。

 土手の芝 人に踏まれて一度は枯れる 露の情けで よみがえる
 都々逸

 たんと売れても 売れない日でも 同じ機嫌の 風車(かざぐるま)
 諦めましたよ どう諦めた 諦め切れぬと 諦めた
 都々逸も うたいつくして三味線枕 楽にわたしは ねるわいな  (辞世の歌)
 今日の旅 花か紅葉か 知らないけれど 風に吹かれて ゆくわいな (辞世の歌)
 都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか) 文化1年(1804)〜嘉永5年(1852)10月29日
 常陸国久慈郡佐竹村磯部(茨城県常陸太田市磯部町)の医師・岡玄作の次男(ニ姉一兄の末子)
 岡玄作 下野国那須郡大内村(栃木県那須郡那珂川町)の酒屋の次男
 1889年04月1日 大内村、谷川村、盛泉村、大那地村が合併し那須郡大内村
 1954年07月1日 大内村、馬頭町、武茂村、大山田村が合併し馬頭町
 2005年10月1日 馬頭町、小川町が合併し那珂川町
 江戸時代後期の音曲師 都々逸の創始者 幼名:子之松(ねのまつ) 本名:福次郎 通称:枡屋福次郎
 天保9 (1838) 年、牛込藁店 (わらだな) の寄席で、「どどいつどどいつ」の囃子詞 (はやしことば) をもつ「都々逸節」を流行らせ、
 その節回しを完成し、みずからも「都々逸坊」と名乗った。

 梅(うめ)は食(く)うとも核(さね)食(く)うな、中(なか)に天神(てんじん)寝(ね)てござる
 「核」は、生梅の種。毒がある。また、種の仁は「飛梅伝説」から、俗に天神様と呼ばれる。

 飛梅伝説(とびうめでんせつ)
 昌泰4年(901)、時の右大臣であった菅原道真は、左大臣の藤原時平(ときひら)の讒言(ざんげん)によって
 大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されることとなった。
 いよいよ故郷である都を離れる日、幼い頃より親しんできた紅梅殿(こうばいでん)の梅に、
 「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」と詠いかけた。
 主人(道真)を慕った梅は、道真が大宰府に着くと、一夜のうちに道真の元へ飛んで来たといわれている。
 これが有名な「飛梅伝説」であるが、もうひとつ別な話がある。
  伊勢国度会(わたらい)の社人である白太夫という人物が、道真を慕っ て大宰府に下る折、都の道真の邸宅に立ち寄り、
 夫人の便りとともに庭の梅を根分けして持ってきたそうである。
 道真は、都から取り寄せたことをふせて、「梅が飛んできた」ということにした、ともいわれている。
  飛梅は、もともと道真の配所であった榎社(えのきしゃ)にあったが、太宰府天満宮の造営後、本殿横の現在の場所に移された。
 このほか、後代に道真を祭神とする神社に株分けされたものが各地に現存する。



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